雨の朝から月の晩まで。ウエノ・ポエトリカン・ジャム5のこと


2016年にポエトリーリーディング/スポークンワーズの世界にひょっこり来てみた身にとって、ウエノ・ポエトリカン・ジャムという詩のフェスは、音に聞くほか知るすべのない、いわば「伝説」のイベントでした。それが先日10月7日、その名の通り上野の地で復活したのです。
詩のイベントで拝見している先輩詩人たちや、憧れのアーティストが次々に登場する、声と言葉の祝祭でした。雨のそぼ降る朝方は天候が心配でしたが、昼前にはすっかり晴れて、夜には仲秋からまもない明るい月が照らすという、まさに一日がかりのイベント。主催の三木悠莉さん・ikomaさん、運営の皆様、お疲れさまでした。


第5部ゲストの小林大吾、志人、谷川俊太郎がオーディエンスをがっちりとロックし、それぞれの語りの世界に引き込んでみせるさまは圧巻でした。小林大吾の「アリアドネの糸玉」を収録したCDを買い損ねてしまったことがくやまれます。あの繊細で美しい情景を何度でも聞きたい。オンビートでもオフビートでも、彼のリーディングの巧さと心地よさは格別なように思います。
志人は、キノコの世界からやってきた語り手という設定を、鍛錬された身体と語りでもって聞き手をいつの間にか納得させてゆき、歌とも語りともつかない多様なグルーヴの言葉を次々と繰り出していました。
谷川俊太郎の、あの飄々としたたたずまいは、一見「普通の人」のようでありながら、あれができるのは到底「普通」ではない。名作「かっぱ」をそらんじ始めるとともに客席から手拍子が起こりましたが、手拍子の大きさのピークが来るか来ないかのあたりで「かっぱ」のほうでさっさと終わってしまうわけです。読み終えてさっそうと去っていく谷川俊太郎の後ろ姿を見送りました。

オープンマイク枠では、13時すぎに私も一篇読みました。「わたしは答えない」です。


今回のウエノ・ポエトリカン・ジャムは、異なる志向をもつ演者(ステージに上がる人だけでなく観客にも含まれる)やファンが一堂に会したイベントでもありました。「正統派ポエトリー(?)の演者やファン」か、「ヒップホップ/ラップの演者やファン」か、という単純な二者択一ではありませんし、私自身「どちらでもない」と都合のいい回答をしてしまう自覚はあるのですが、“なんらかの規範意識や寛容の度合いをある程度共有する、ゆるやかな集団”めいたものは自然とあったように思います(言葉遣いや服装、観客席でのふるまいなど)。その規範意識や寛容の度合いが、互いをフラットに認める形で共存していたのか、あるいは避けあっていたか、もしかすると不和を起こしていたか。客席で時折感じた、緊張感にも似た特殊な空気はなんだったのか、うまく言語化できないまま忘れてしまいそうになっています。

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